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  目次1 日本からの電話2 日本行きを阻む香港政府のコロナ対策3 34歳のふわっとした夢…

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【新社会人へ贈る言葉】10年間の経験から気づいた最も大事なこと
Business, Lifestyle

【新社会人へ贈る言葉】10年間の経験から気づいた最も大事なこと 

コロナの影響でダメージを受けた企業は新入社員の採用枠を減らしていて、世の中には就職できずにいる学生がたくさんいる。日本では、生活を繋ぐためにアルバイトをしたりするのが一般的だろうが、海外では少し様子が違う。

シンガポールと香港では、日本の金融庁にあたるMonetary Authority of Singapore (MAS) とHong Kong Monetary Authority (HKMA)主導で、ダメージがさほど無かった金融機関に対し、大学生をインターン生として引き受けるよう要請している。決して一方的な要請ではなく、賛同した企業が任意で参加できるようになっている。弊社は、学生、社会、企業の3者がメリットを受けられるとても良い仕組みだと共感し、社員の1割に当たる数のインターン生の受け入れを決定した。

そのメリットとは、

  • 学生は、仮に第一志望の業界が航空、旅行、不動産、エンターテイメント業界などのコロナの影響が大きかった業界だったとすると、今入社することは非常に難しい。とは言え、コロナが終息して経済が回復するまで待つのは時間が勿体ない。その間、外資系もしくは現地の金融機関でインターン生として給与をもらいながら、ビジネスの教育が受けられるだけでなく、社会人としてのイロハも身につけておいて、即戦力となって後で再チャレンジすることができる。
  • 企業は、優秀な学生をインターン生として採用することで、新しい風を企業に流し込み、従来の仕事の進め方などを見直す良い機会になる。そして、社会貢献をしているということも主張できる。さらには、採用することも可能。
  • 政府は、国全体のバランスを取って雇用問題を調整しているとアピールができる。

前置きが長くなったが、そんなインターン生に対して、急遽スピーチをすることになったので、今回はその内容紹介したいと思う。僭越ながら、就職先が見つからなくて困っている学生や、将来に不安を抱えている人などの後押しになればと思う。

スピーチ

インターン生の皆さん、入社おめでとう。今日こうして皆さんに会えたのも、コロナがなければなかったと思うと何だか複雑な気分になる。もしかしたら、みんなは今頃ホテルで働いていたのかもしれないし、もしくは、航空会社の経営企画部にいたのかもしれない。僕もコロナで影響を受けたうちの一人だ。最近の仕事の大半はコロナ対策だし、コロナ後のニューノーマルに戦略を作る毎日だ。誰も予想できなかった世界が目の前に広がっていて、人生は本当に何があるか分からないということを再認識させられる良い機会になった。「あのときの出会いが、インターンが、人生の分岐点になった」、そう言えるときがくるように願っている。

今日は、僕が今どういう仕事をしているかの話ではなくて、僕がここに来るまでどういうキャリアを歩んできたのかを話したいと思う。

 

僕も、みんなと同じインターン生としてスタートした。今は34歳、今年で勤続10周年になる。今ではCOOとしてグローバルのデジタル戦略部門を引っ張るまでになった。他の幹部は、皆45歳以上だから少なくとも11歳は離れている。こういうとスピード昇進のことばかり聞かれるが、今日話したいことはその手法ではない。それは計画できるものではなく、ましてや再現性のあるものでもない。だから、僕はキャリアをプランニングするという言葉があまり重要ではないと思っている。実際は、計画通り進められることなんて稀で、予想もしないことの連続だ。きっと、みんなが今こうして外資系企業で僕のスピーチを聞くことになるとは、半年前には想像もしなかったはずだ。同じように、僕のキャリアも計画されたものではなかったし、偶然が重なり、失敗を繰り返し、今に至る。

でもそんな僕にも10年変わらずに大切にしている言葉がある。Zig Ziglarの格言だ。

Your attitude, not your aptitude, determines your altitude.

約すと、「あなたの才能ではなく、心構えが、昇れる高さを決める」(英語だと語呂が良いが、日本語だと良さが少し薄れてしまう気もする)

 

予想もしなかったことが起こったり、失敗をして落ち込んだり、どんな困難が目の前にあったとしても、この格言は忘れないようにした。そして、前向きに物事を捉えた。それが僕には有効だった。

そして、今振り返ると、この格言を軸に4つの行動を意識的に行っていた。

  1. 何事にも一生懸命にチャレンジする
  2. 事前に準備をする、復習をする
  3. 相手の立場になって物事を考える
  4. 仕事はやり抜く、約束は守る

言うのはとても簡単だし、誰もが今日からできることだ。でも実際はなかなか継続できない。

これが日頃からできていると、チャンスが降ってきたときに機敏に動くことができる。実際は困難な状況を前にすると、忘れてしまいそうになるときもあるが、強い意志を持って継続することが重要だ。インターン期間の6ヶ月間挑戦してみて欲しい。そして、最終日に自分の行動を振り返って欲しい。

 

では、具体的にどういう人生を歩んできたのか。少し恥ずかしいが、失敗と首尾一貫性がない歴史を紹介しよう。

 

研究がしたい!と勘違いしていた学生時代

僕はもともと何事にも好奇心が強い方だ。それが最新のテクノロジーのこととなると、さらにワクワクが止まらない。世界の常識を変える可能性がある最先端の研究ができるなんて、そんな素晴らしいことがあって良いのかと思って理系の道を選んだ。ハードウェアもソフトウェアも作って、10年先の研究が出来ていた。当時、研究していたことが、今ようやく世の中の当たり前になりつつあるのを見ると感慨深い。

でも、あることに気づいてしまう。研究は好きだが、論文を書くこと、発表することが恐ろしく嫌いだった。このまま博士課程・大学教授の世界を目指したとして、残りの人生、あといくつ論文を書くのかを計算して、ゾッとした。そして少し休むために休学することを決断した。当時は、両親が一生懸命稼いだお金をこんな風に無駄に使っていいのか悩んだが、今振り返ればこの機会がなければ今の僕はいないと言い切れる。

偶然参加したインターン

そんなとき友達と一緒に就職活動を始めて、理系は他の世界でも活躍できることを知る。その中でも興味を惹かれたのは外資系企業だ。外資系のコンサルティングファーム、金融、GAFAに代表されるIT企業。外資系の理由は、子供の頃に海外に住んでいたから自然と色んな国の人が働く環境で働きたいと思ったから。それが自分に合ってると思った。業界は、とりあえず人気のところを闇雲に受けていた。

その過程で今の会社のインターンの募集を発見する。でも臨んだ面接は大失敗。英語面接があることは少し考えれば当たり前なのに、完全にノーマークだった。質問は理解できたが、自分の意見が英語で表せない…。手振り身振りで気持ちを伝えるので精一杯だった。恥ずかしくて早く帰りたかった。明らかな準備不足だった。それでもこの会社はポテンシャル採用、としてくれた。

だからその決断をしてくれた面接官に恥を欠かせるわけにはいけないと思い、必死だった。自然と毎日誰よりも早く出社し、前日に教わったことを復習し、お願いされたこと以上のことを結果として出せるように心がけた。頑張る、褒められる、もっと頑張る、さらに褒められる、ご褒美にご飯に連れて行ってくれる、最高に楽しかった。楽しすぎて飲みすぎて、家に辿り着けず警察に担がれながら帰ったこともあった。そして、気づいたらこの仲間に加わることになっていた。

入社 ー マイナスからのスタート、一転シンガポールへ

配属先は入社直前に複雑なトレーディングで数億円が消えたチームだった。みんな口にはしないが、明らかにお荷物チームだった。インターンでの結果がイマイチだったのだろうかと悔やんだ。まずは、業務プロセスを見直す必要があった。どこにリスクが潜んでて、本質的な問題は何なのか?AppleがiPhoneを作って世界を変えているときに、僕はマイクロソフトが1995年に考えついたエクセルを使って、隙間時間を見つけてはマクロを作る日々だった。10年先の研究をしていた者からすると自暴自棄になりそうだったが、とりあえず真剣に取り組んだ。そしてこれが部分最適化の温床となっていった。それでも改良を重ねているうちに、ITシステムよりもよっぽどシンプルでユーザーフレンドリーなシステム(マクロ)になった。誰もマクロとは気づかないほどになった。今ならAI機能を搭載したアプリを使うだろうが当時はなかった。

そんなある日、シンガポールからマネジメントが出張で日本にやってきた。目的は、ボロボロのITシステムを全世界で共通化するために、日本をパイロット国として投資するべきかを判断するためだった。マネジメントに対して、少数精鋭のプロジェクトチームが徹夜で準備した資料を使って説明した。僕も少し手伝わせてもらえた。何故なら、僕の作ったマクロの方がITシステムより高機能になっていたから、そのアルゴリズムを伝える必要があった。マネジメントは資料を先読みしていて、注意して見ているページがあった。参考文献として後ろの方に追いやられていたページだ。でもそのページが導入を決める決定打になった。そして、その1週間後、僕のシンガポール異動が言い伝えられた。異動後にITシステム導入のメンバーに加わることと、プロジェクト完了後に彼女のマネジメントオフィスに入ることが決まった。ここから僕の経営企画としてのキャリアが始まることになる。

もし僕がかったるいとメンタルを腐らせてマクロを作っていなければ、もし僕がマクロの改良を続けてシステムよりも性能が良いものを作っていなければ、もし僕がいつでもプレゼンできるように資料にまとめていなければ。そのどれかでも欠けていたら、今の僕はいない。もうお分かりいただけるだろう。如何に、日頃から一生懸命に取り組むこと、そして事前に準備することが重要なのか。チャンスはいつやってくるか分からない。

 

経営企画 ー 偶然の再会から厳しい決断へ

シンガポール異動後、最初の3ヶ月間は毎日頭痛と微熱があった。外は高温多湿の気候で、オフィスの中は冷房が16度に設定されていて、温度差にやられていた。それに加えて、仕事は毎日英語、しかもシングリッシュ、英語が母国語ではない僕には難しかった。何度も復習せざるを得なかった。慣れない環境に苦戦しながらも少しずつペースを掴み始めていった。そして、約束通り経営企画に入った。なのに、その直後に僕をシンガポールへ引っ張ってくれたマネジメントは中国へ異動になってしまった。恩返しができないままになってしまった。

後任と来られた方は、日本人の方だった。偶然にもインターン後に僕の入社を後押ししてくれた最終面接官だった。今でも鮮明にその面接のことを覚えている。その方が放つオーラに圧倒されてしまい、日本語面接だったにも関わらず面接中タジタジになってしまって上手く応対できなかった。それはもうみんなから恐れられる存在の方で、近寄り難かった。でも彼の決断がなければ、今の僕はいない。恩返しを直接できる機会をもらえたとまたギアチェンジをした。

そんな彼とまともに話せるようになるのに2年はかかっただろうか。次第に信頼してもらえたのか、大きなプロジェクトを任された。3年間で40%のコスト削減をしなければならないというものだった。もしあなたの所得が40%カットになるとしたら、どうするだろうか?生活水準が安い国に引っ越すだろうか?

ビジネスの場はそんなに簡単ではない。国ごとに違うルールに雁字搦めになっていて、なかなか身動きができない。でも僕は果敢に既成概念にとらわれない方法でチャレンジを続けた。色んな分析を行った結果、その数字の実現は1社では無理と気づき、業界再編を提案した。やらなくても良い仕事は徹底的に排除し、プロセスの標準化を進め、他社もすぐに使えるようにITシステムの拡充も行った。でも、その影響で大好きだった仲間には新会社への異動をお願いすることになってしまった。この決断は、今振り返ると正しかったのか悩む時がある。

 

もちろん、当時はこれ以上考えられないというぐらい考え抜いたつもりだ。対象の社員の立場にもなって考えた。でも、全員が喜んでいるようには見えなかった。どこか気づかないところで、金融業界を良くしたいという気持ちが優先しすぎて、個人個人の置かれている状況、この決断が与える影響を軽視したところがあったのかもしれない。これ以来、僕は相手の立場になって考えることを何よりも先にするようになった。

 

収益を3年で10倍に

日本に戻って数年経った頃、今度は収益を3年で10倍にするというミッションを預かった。やり切ると張り切って引き受けたが、外資系が日本でこれを達成するのはなかなか難しい。でも実現可能なプランができなければ、日本市場からの撤退を余儀なくされる可能性があって、追い詰められていた。日本支社の全社員がかかってる。しかも、当然この手のプロジェクトは極秘で進められる。上司と二人で二人三脚。それ以外には誰とも相談できない。他の社員にデスクの場所さえバレないように、特別なオフィスを来客フロアにカモフラージュする形で作ってもらい、日々極秘で進められた。今までも真剣に全力で取り組んでも達成できなかった目標だと考えると、何か全く違う方法でマーケットシェアを切り開く手法が必要だった。それには営業マンを単純に増やしたり、新しいKPIを作るという小手先のやり方ではなくて、インオーガニックに事業を拡大させる必要があった。毎晩深夜まで働いて企画書を完成させ、ここから色んな会社とのデューデリジェンス、企画書の擦り合わせ、契約交渉が始まった。残り1週間を切っても両者の立場は平行線のまま、期限が近づいていた。残り2日となったとき、30時間部屋にこもって頭脳戦の交渉をするというフルマラソンをした。それで契約はやっとまとまった。

もし引き受けていなかったら他の人がこのプロジェクトを進めていたのだろうか、そして交渉、決断したのだろうか?一度引き受けた仕事は、責任を持って、成し遂げることの重要性を学んだ良い経験だった。

 

(省略)

そして、新会社が開業した当日、香港から一本の電話が鳴る。「開業初日の気分はどう?一息ついた事だし、今度は私のCOOになって、次のチャレンジをしてみないか?」。

香港へ

こうして、僕は今香港にいる。この続きがどうなるかなんて誰にも分からないし、分かろうとする必要もないことは経験が教えてくれた。もしかしたら4つのアクションに、5つ目が追加されるかもしれない。いや、やはり分からない。でも、確かなのは、何か加わることはあっても減ることはないと言うことだ。だから、みんなにも今一度この格言とアクションを自分のものにして、今日のスピーチを終わりとしたい。Good luck!

Your attitude, not your aptitude, determines your altitude. 


以上

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